松尾芭蕉は忍者だった?

                                                    「古池や蛙飛び込む水の音」など優れた俳句で知られる俳聖の松尾芭蕉は実は忍者ではなかった推測されるのは、次のような根拠がある。<br />①伊賀の出身であること。伊賀は古くから忍者集団の住んでいた土地。<br />②芭蕉一族は代々連歌で秀でた家系で、連歌師は社会の様々な階級の人間と接触するため、情報収集にも巧みであった事。<br />③著書として有名な『奥の細道』をよく読んでみると、一日に十二里、つまり四十八キロも歩いている事。いくら昔の人はよく歩いていたとはいえ、並の体力ではとても不可能なスピードである事。46歳だった芭蕉がとんでもない体力の持ち主、これほど歩くには相当なトレーニングが必要になり、日々厳しい修行を重ねている忍者であれば可能だと考えられる。何しろ、江戸から東北・北陸地方を太平洋沿岸から日本海沿岸にかけて歩き約150日間で約600里(2400キロ)を踏破したことは常人では出来ない。<br />④芭蕉が旅したのが、ほとんど徳川幕府の外様大名の領地であり、探察の必要の無い親藩、譜代の領地ではなかったのも有力な根拠の一つ。特に私財の無い芭蕉に長期の旅が可能だったのは、資金が幕府から出ており、全国の大名の状況を忍者によって情報収集していたのはでは。<br />⑤忍者は奈良時代には『細人(しぬび)』と言われていた。狭い所まで入っていける人の意味だが、そこから考えると「(奥の)細道」という言葉も意味深なのでは。